人よりペースが遅いからこそ見えてくる景色があると思う

人よりペースが遅いからこそ見えてくる景色があると思う。

日本ではいつも「皆と同じ」を求められる。皆と同じように行動して、仲良くして、自分の気持ちより協調性が大事だと言われる。

だから人より感情的だとワガママだ、上手く気持ちが切り替えられず泣き続けていると、あの子は普通じゃないと言われる。

人より遅くたって良いじゃないか。感情を抑えるより表現できる方が魅力的じゃないか。それに発達とともにいずれ抑えられるようになる。いずれできるようになると温かく見守る姿勢が、大人には必要だ。

 

 

それに社会という型に当てはまる人間を育てるのではなく、創造性や主体性を育てるのが教育の本質ではないだろうか。保育士法?にも、「創造性や主体性を育て、国や社会の問題を解決へ導き未来をより良くする人材を育てる」?との記載がある。

確かに社会で働くにはある程度の協調性は必要になる。情報共有や会議などはどの分野の仕事、どの会社にもあるし、そこでコミュニケーションをとることで仕事が円滑に進む可能性もある。

けれど協調性ばかり育てていると、自分の意見を押し殺してまで周りに合わせる人間になってしまうかもしれない。そうすると自由な発想を発信しなくなり、創造性が失われていくのではないだろうか。

それに協調性がなくても創造性がある人はいる。そういう人たちは社会をより良くする発想を次々と思いつき、実行してゆく。既存の概念に囚われない新しい思いつきが、変化のスピードが早い現代では求められるのだ。

 

そういった若い芽?を摘まないためにはどうするべきか。

子どもたちの自由な発想を否定する事なく受け入れる懐の深さ?柔軟性が大人たちには求められる。

 

 

 

・ゲームやクイズ感覚で勉強