集団内で発言する事が苦手。人を信用できない
私は集団の中で発言する事が苦手だ。慣れていない人たちだと特に。一対一であれば普通に話せるのに。
理由は、相手が自分の発言を受け止めてくれるか不安、どのタイミングで発言すればいいか考えすぎてしまう、自分の言葉で場の空気を壊してしまわないか不安になるからだ。
理由は人それぞれかもしれないが、集団での発言が苦手な人は一定数存在すると思う。何十人に1人など明確な事は言えないが。
そういう人は大抵大人しい人、ですまされる。特に喋りたい事がない、意見がないのだなと思われる。その人の事情なんて、人生なんて知るわけがないのだから。
でもその人は苦しんでいるのだ。自分の意見が言えない事に。会話に入れない事に。普通の事が、普通にできない事に。こういう人間になってしまった自分の人生に。
言いたい事が言えないと心の中が暗く重くなる。発散してしまえれば楽なのに、心のうちに溜め込むしかなくて。
それにこのタイプの人間にとって、学校や会社、社会は苦でしかない。どんどん社会のレールから外れてしまうかもしれない。普通ができない人は排除されてしまうから。
そんな子どもたちを私は救い出したい。少しでも苦しみを減らしたい。
こんな自分だからこそ、普通に生きていく事、世の中に馴染みにくい人の力になれるのではないかと思う。(人助けよりまずは自分をどうにかした方が良いが。)
なので自分の現状、試行錯誤の結果などを記そうと思う。
どうやったら楽になるか、自分で実験してみようと思う。
現状、話す際に気をつけているのは「ゆっくり話す」事である。
何か言わなきゃ と思うと、とりあえず言葉を紡ごうと早口になり、変な事を口走ってしまう可能性がある。
同時に、変な事を言わないようにと気をつけ考えすぎると、言葉が出て来なくなる。
だからゆっくり、考えながら、ほんの少しの言葉でいいから言ってみる。そうすると混乱せず落ち着いて話せるし、周りも言葉が返ってくるのでこの人は会話に参加していると認知してくれる。
いつもできている訳ではないが、ここに書いたのだから毎日きちんと意識して、意識しなくてもできるよう自分のものになるよう努めていきたい。
・相手に期待している
保育士試験、一発合格。どう勉強したか
先日保育士試験の結果が届いた。結果は一発合格。我ながら見事だ。(実技試験は合格ギリギリの点数だったが。)
元々前期試験を受ける予定だったがコロナで中止になったため、勉強期間は8ヶ月ぐらいになった。中止になると分かってからは、ひたすら任天堂Switchであつ森をしていた。やる気を失くしたのだ。4月〜6月ぐらい。ちょっと長かったな。
そんな怠惰な期間を経て復活し、通信なども利用して何とか合格することができた。なので、どうやって合格に至ったのか整理しておこうと思う。
大事だなと思ったポイントは3点
●最重要な部分のみ、先に暗記してしまう
●ひたすら問題を解く●復習!
また、参考までに、自分の試験勉強の流れを下に記しておく
①保育士テキストを買う
→本の分厚さに絶望し、薄めの教材を購入
②通信を利用する。(無理して通信をとらなくてもOK。)
③ひたすら問題を解きまくる
使用した教材
・薄いの ー 保育士過去問ここだけ丸暗記
・ユーキャン保育士過去&予想問題集
・ユーキャン一問一答 ・過去問題集
・保育士合格テキスト
①まず市販のテキストを購入して読むが、分厚くて情報量が多いため挫折。赤字を全て覚えていたら先に進まないため、薄めの教材にシフト。その教材が当たりだった。問題を解いてから暗記ページに進むので、記憶に残りやすい。暗記ページも最重要項目のみ。薄いので進み具合が目に見えて分かり、モチベが下がりにかった。そこで試験範囲を一通り把握した。
②市販の教材だけでは合格に不安があったので通信も利用する事に。お金を無駄にしないために何としてでも一発合格するという良いプレッシャーにもなる。動画を見ることで、1人で教材を読んでいるよりも感情が高まる(孤独感がない、音)。よってモチベUPに繋がった。
只、情報は市販のものとさほど変わらないと思う。なので無理して通信をとらなくても、合格は充分可能だと思う。
③過去問題集や予想問題集をひたすら解く。試験は問題文が難しいので解くのに慣れが必要。暗記していても問題になると解けない事もある。なので、問題を解きながら暗記するのが効率が良いと思う。
あとはテキストをザーッと読み、知識を整理した。
私は様々な教材を使ってしまったが、少しの教材を繰り返しやる方が良かったのかもしれない。大事なのは復習して、知識を定着させる事だから。私は暗記しきれていないものもあったし。
繰り返し繰り返し
子育てで困ったらこれやってみ!、てぃ先生
子どもへの伝え方で大切なのは、子どもに愛情を伝える事、自分自身がなりきって楽しむ事なのかもしれないと、てぃ先生の本を読んで思った。
てぃ先生の「子育てで困ったら、これやってみ!」
てぃ先生とはカリスマ保育士で、保育園で実践している子育てに役立つ情報をSNSで発信している。そしてその情報どれもが「今日からやってみよう!」と思える簡単な方法なのが魅力である。
この本ではその魅力が満載で、今日からやってみようと思える小技がわんさかある。
読んで感じた事の一つは、愛情が伝わる伝え方をする事、である。子どもを愛しているけど日々余裕がなくてキツく当たってしまう、というのはよくある。そしてキツくなってしまった事を反省する。その繰り返し…。どうにかしたいと思ってはいるがどうすればいいのやら…?
これを防ぐために伝え方に工夫をすると良いらしい。例えば子どもに話をする時、抱きしめるなどスキンシップをとりながら話す。すると、子どもの温もりを肌で感じて心が穏やかになり、キツい言い方になりづらくなる。スキンシップをとりながら叱る、というのは難しいのだ。
また、学校に行く前に「今日学校でどうしたい?」と聞き、帰ってきたら「どうだった?」と聞く。そうすると会話のきっかけを事前に作れるし、学校での出来事を知る事ができる。
二つ目は、なりきって楽しんで伝える、である。
例えば子どもが手を洗いたがらない時、「早く洗って」というのではなく「手洗い屋さんだよ!一回100円!いかがですか〜!」と手洗い屋さんになりきる。そうすると子どもはお店に来たつもりで楽しく手を洗えるし、大人もふざけている感覚で楽しめる。そしてあっという間に手洗いが終わってしまうのだ。
毎回毎回〜してよ!と言っていると大人も疲れる。どうせなら自分も楽しくなり笑ってしまうような言い方をした方が、何気ない毎日が少し明るくなるかもしれない。
子供だけでなく大人も一緒にやる、というのが子育てなのかもしれない。そりゃいつも手をかけられる訳じゃないが、余裕がある時は一緒に。大人だって、何か言われて1人で行動に移す事が面倒くさい時だってある。
普通でいる事の難しさ
私は集団が苦手だ。人が多いと発言しずらくなる。会話に入れなくなる。
理由は、自分の発言を相手が受け入れてくれるか不安だからだ。変な事を言えばその場の空気を壊してしまうし。要は自分の言葉に自信がないのだと思う。
2人で会話するのは平気だ。話し相手が私だけなので、私が言葉を返すしかないし。大勢いる時は私がわざわざ話さなくても誰かが適切な言葉を返してくれる。
元々会話が得意な方ではないのもあると思う。適切な返しは何だろうと考え過ぎて疲れてしまうのだ。
内容は少し変わるが、何か発言しようと無理をしなくて良いと思えた話がある。
私の甥は学校で頑張り過ぎて、家に帰ると暴言を吐く。
→無理して頑張っている自分を好む友達が大勢いるよりも、ありのままでも仲良くなれる友達が数人いる方が良いのかもしれない。
合わない人はどうしたっているし、皆んなと仲良くする必要はない。無理して頑張っている自分には、その状態を好む人しか寄ってこない。素の自分がどんなにコミュ障だろうと、みっともなかろうと、そんな自分と仲良くなれる人、無理をしなくてもいい人が本当の友達なのかもしれない
とはいえ、楽しい学校ライフを送るにはある程度の友達は必須だ。そのために多少の無理も必要になってくる
運は貯めて使うもの。喜多川著・運転者を読んで
運は貯めて使うポイントカードのようなもの。貯めないと使えない。そしてそのポイントは自分が貯めたものだけではない。先人が未来を願い後世に残してくれたものでもある。先人が人類のために残してくれたポイントを使うだけではなく、自分もこの先の人類のためにポイントを貯めて行く事が生きるという事、プラス思考でいること
だというのを、本書を読んで感じた。
ここでいうポイントを貯めるというのは、 良い行いをして見返りが無い状態のことをいう。例えば、友達の引っ越しを手伝ってお礼を貰わなかった場合、運が貯まったと言える。逆に友達からお礼として数十万円貰うなど自分のした事以上の見返りがあった場合、運を使った事になる。
こう考える事で見返りが無くても損したと感じずにすみ、落ち着いた気持ちでいられるようなると思う。むしろ運が貯まってラッキー、と思うかもしれない。
それに見返りを求めながら生きていくのは疲れる。見返りとは相手に期待をする事だから。これぐらいはやってくれるだろうと考える事だから。そしてその期待は大体叶わない。期待をして裏切られ、また期待をする…その繰り返しのような気がする。ならばいっそ期待を抱かずに、自分は相手のためになる事をして運を貯めた、と思える方が幸せじゃあないか。
私たちが生きる時間は人類の長い歴史のほんの一部に過ぎない。その今も誰かの運、想いに助けられている。ならば自分たちもその想いを紡ぎ、人類の発展を願ってもいいじゃないか。自分が幸せになる事も大切だが、それだけじゃ虚しいじゃないか。そう思った。
誰かの想いが今に繋がっている。
自分を整える
ブログを始めてみて数日経った。他者のブログと比較すると自分の文章の拙さや語彙力の低さに絶望する。だが上手い文章を読むことで、接続詞を上手く活用しきれていないという自分の欠点にも気づけた。具体性に欠けているという事も。
書きたいことが、伝えたい事、エピソードがあまりない。
そこで、最近悩んでいる事について書いてみようと思う。
身体、特に頭の不調を良く感じる。意識が遠くにいき、目の裏あたりに力が入ってしまうのだ。 いや、目の裏に力を入れる事に集中がいくため、意識が遠のいていると言った方が正しい。そして思考力が低下し、まともな文章作成が不可能になる。知能が低下する。今まで培ってきた学力が意味を成さなくなるのだ。これは何かの病気なのだろうか、と時々考える。むしろ何か診断がついてくれた方が、対処法も分かり安心するものだ。
体調を万全に、脳の働きを万全にする事がこんなにも難しい事なのか。原因は睡眠過多のせいか、それとも他にあるのか。自分の状態を普段から注意深くみていればこんな事にはならなかったのかもしれない、と思う。自分の事を自分が把握しきれていないから、原因も効果的な対処法も明確にならないのだ。まずは己を知る事から始めなくては。
そもそも体調管理とはどういうものなのだろう。風邪をひかないように加湿器をかけて喉が乾燥しないようにする、早く寝て睡眠不足を防ぐ、とかだろうか。また、やる事に個人差はあるのだろうか。
脳の働きが鈍くなるというのは致命傷である。仕事に支障が出るのはもちろん、普段の会話も噛み合わなくなる。空気の読めない発言をし、白い目で見られるのだ。そんな状態では、人として生活を営む事が困難になってしまう。
対処法として今までで効果的だったのは、「自分の意識よ戻ってこい!」と自分の意識に集中する事だ。そうして目の裏にいっている集中を元の場所に呼び戻す。
…瞑想でも始めてみるか。
逃げ恥の内容で普段の生活に生かせる事
子どもを授かるという事は、命を守るという事。その責任の重さに、少し怖さを感じた。
逃げ恥新春スペシャルを見てこんな事を強く感じてしまったが、今作も社会問題を多く扱っており、今を生きる人類に刺さる魅力的な内容であった。
特に今後の生活に活かしていきたいと感じたのは、
・自分がやった家事を報告する、だ。
掃除をしても家族は気づいてくれない、という事はよくある。隙間の汚れ掃除など、地味で大変なもの程気づきにくい。見えない所だし。
せっかく頑張ったのに認めてもらえない、というのは気分が悪くなるし、悲しい。
なので自分からアピールし、認めてもらい、感謝してもらう。そうする事で掃除した側の心のモヤモヤも晴れるし、家族も感謝を伝えやすくなるかもしれない。
・掃除した事は気づかれるのを待つのではなくアピールして、日々の小さな不満が溜まらないようにする!
あとは、・家事代行の利用を検討する事だ。
これは家計に余裕のある方だけかもしれないが。そんなお高いイメージがある家事代だが、実際の相場はいくらなのだろう。
調べてみると、1時間あたり2千〜3千円、一回あたり2時間からが一般的(つまり4千〜6千円)らしい。また、依頼内容、時間、頻度によって値段の差があるようだ。ベビー&キッズシッター、料理サービスもあるらしい。
この値段なら月に1回や数ヶ月に1回程度であれば、あまり家計の負担にならないように感じる。知らない誰かが家にいる事に抵抗がなければ、利用するのもありかもしれない。
・責めるのではなく、相手に期待感を込めた伝え方をする。
「彼ならそれができると見込まれているから、リーダーなのだよ。」
誰かに対して不満がある時、つい責めるような口調になってしまうもの。それを沼田さんは、相手に期待感を込める言い方にした。「〜できるものね」と言われると、その期待に応えたくなるのが人間である。心理学でも「ピグマリオン効果」といって、これと同じ手法がある。
他にも、
●頼れる人が身近にいない辛さ
●妊娠して無事に子どもが産まれるのは当たり前ではない 事を感じた。
私にはまだ子どもはいない。貯金もしたいし、まだ自由な時間も欲しい。
だが、20代後半になってそろそろ子どもも視野に入ってきた。
けれど、欲しい!と思ってすぐに授かるものでもない。
私の身体は妊娠しづらい可能性もあるし。長い目で考える必要もあるかもしれない。